ロルフィングをさらに詳しく

アイダロルフ博士について

アイダロルフ博士とは

 

ロルフィングという名前の由来となったアイダロルフ博士はニューヨークのブロンクスに生まれ育ち、コロンビア大学で生化学の学士号を取得した女性の科学者でした。

 

彼女は若いころから自身や家族の健康のために、オステオパシー、ホメオパシー、ヨガなどを学び実践していましたが、人に対する施術を始めたのは、研究所をやめて主婦になり、40歳を過ぎたころでした。

 

良い姿勢は窮屈

 重力と調和した良い姿勢は頭が前に出ているのに対して、ぐっとあごを引いて、胸を前につきだして「きれいな姿勢」を作るのとは異なります。

それは、緊張でさらなる緊張を被せて、緊張を増やす状態です。

見た目はきれいな姿勢ですが、かえって緊張を増やして、効率的でない窮屈な姿勢となっています。重力と調和した姿勢とは、無駄な緊張を手放して生まれる、楽で効率よく機能している姿勢です。

地球にいる限り、どんな時も身体には重力がかかり、姿勢のわるい状態であれば、いつも身体に無駄な緊張が発生していることになります。無駄な緊張が続ければ、身体の不調やコンディションの低下、パフォーマンスの低下、身体の内側からの感覚や身体の外側からの刺激の対応力の低下となって現れます。

緊張のある状態は、心にも影響を与えます。緊張したり、焦っていたり、変に頑張ってしまいます。

 

 

施術をはじめるきっかけ

 

息子のために学校を探してたロルフ博士は、手を怪我した音楽教師に会いました。

 

様々な治療を試しても症状が解消されず、ピアノが弾けなくなったと話す相手に、「私を信頼してみない」と声をかけて、ヨガを応用した施術を行いました。

 

そして、その結果が評判を呼んだので、博士のもとには多くの人々がやってくるようになりました。

この時に行った施術についてロルフ博士は「秩序を失っている部分がみえたので、そこに秩序をもたらした」と語っています。のちに、直接指導された生徒達の証言からも、ロルフ博士は身体の様子が「見える」人だったようです。

 

その後、1年間カリフォルニアに滞在して運動法を習い、ニューヨークに戻って施術を続ける中で、柔組織(筋膜)にストレッチ、圧を加えると、組織が働くことを発見しました。

 

そして、この時、「柔組織を本来あるべき位置に動かして身体のバランスを整える」というロルフィングの基本原理が生まれたのです。

 

カリフォルニアでロルフ博士がならったのは、physio symthesis (身体の統合)という運動法ですが、彼女が自身の技法につけた名前m Strctuarl Integration(構造の統合)でした。

つまり、最初から博士が目指していたのは、全身のバランスや統合であり、バランスの取れた人間には何が起こるかなど、症状を取り除くことよりも人間の進化の可能性のほうに興味をもっていたようです。

筋膜への技法を教え始める

 

ロルフ博士はずっと施術を行い、探求を続けてきましたが、1950年代になると、知人の勧めで、それまで行ってきた技法をオステオパシーやカイロプラティックの療法家たちに教えはじめました。

アメリカ各地だけでなく、カナダやイギリスにも出掛けて行きましたが、博士のテクニックを取り入れたい治療家たちと、テクニックの背後にある人間のビジョンを伝えたい博士との間には、しばし志向のズレがありました。

レシピの誕生

 

また、ロルフ博士が教える際に困難だったことは、生徒達は、博士と同じように「身体を見る」ことができないということでした。

 

そこで、多くの身体に当てはめることができる施術の手順、「10回シリーズのレシピ」が考案され、生徒たちはレシピを習い、それを実践していく中で「身体を見る」ことを学習する教育システムが生まれました。

人間性回復運動の潮流にのる

 

1960年代のアメリカでは、主にしんりがくの中心として、人間の潜在能力を探求しようとする潮流(人間性回復運動)が起こっていましたが、その中心の一つに、カリフォルニアのエレサン研究所がありました。

人々はそこで温泉や海辺の自然環境に浸りながら、心理療法、身体療法、芸術などを体験し、学ぶことができました。

ゲシュタルト療法の創始者 Fritz Peris も当時エレサンの住人でしたが、紹介されてロルフ博士の施術を受けたところ、身体にも精神的にも健康になったことに感銘し、ロルフ博士の施術がエレサンの活動に取り入れられるようになりました。

エレサンに関わった人々には、時代を代表する心理学者、身体療法家、芸術家などが数多く挙げられますが、エレサンとの出あいは人間成長の可能性に興味のあった博士にとって、実りあるものになりました。

 

そして、これまで Structural Integration (構造の統合)と言っていた博士の技法は、次第にロルフィングという、次第にロルフィングという愛称で呼ばれるようになりました。

エレサンには、ロルフ博士の技法だけでなく、その背後にあるビジョンにも耳に傾ける人々が集ってきました。

やがて、ロルフィングの施術者(ロルファー)のトレーニングが始まり、さらには博士の代わりにロルファーを要請するインストラクターが誕生していきました。

またこの時代には、UCLAでロルフィングの効果の研究が行われ、ロルフ博士のビジョンを記した本の執筆も始まりました。

ロルフインスティテユートの誕生

 

70年にはいると、ロルファーたちは毎年ミーティングを開いて交流し、ロルフ博士をサポートし、ロルファーの教育とロルフィングの普及活動を行うNPO団体がカリフォルニアで設立されました。

翌年そのオフィスはコロラド州ボルダーに移り、ロルフインスティテユートとして今日に至っています。

晩年のアイダロルフ博士

 

1977年には、ロルフ博士がバランスの取れた身体について解説した「Rolfing」がっ出版されました。

それは全身を一つのユニットとして捉える前例のない内容の本であったため、図表のイラストも一から準備し何度も書き直すなど、出版までには10年近くかかった労作でした。

 

晩年のロルフ博士は直接指導することはなくなり、たまにクラスを訪問する程度でしたが、病によりほぼ視力を失っていたにもかかわらず、教室の遠いところで実習していた生徒が、要点となる部分に触れていないことを「見ていた」と逸話が残っています。

ロルフ博士の没後

 

ロルファーを要請するインストラクターが世界各地に誕生して、ロルファーの数が増えるとともに、他の技法や分野の経験を持つ人々がそれらを取り入れることで、ロルフィングの数が増えるとともに、他の技法や経験を持つ人々がそれらを取り入れることで、ロルフィングの技法の幅も広がっていきました。

 

現在ではアメリカや日本以外にも、ドイツを中心としたヨーロッパ、ブラジル、カナダでロルフィングの境界が設立されて、教育・普及活動が行われています。

 

ロルフ博士の遺したロルフィングの正式な名称は、Rolfing Strutural Integration(構造の統合)ですが、人間や生命現象には未知な領域が多く、今後も新たな発見や気づきがロルフィングの中に「統合」されていくと思われます。

 

<日本ロルフィング協会の記事より>